パズドラは不親切か?
念のために前置きしておくと、別に批判でもなんでもない。
「ああ、そういう見方があるんだなぁ」ってな感想から、自分はそのあたりどう捉えるんだろうか…ってなことをまとめてみただけなんで、あしからず。
なんだか、パズドラが難しい云々の記事を見かけたので、なんのこっちゃと思って読んでみた。
記事はこれ。
「モンハン」「パズドラ」は難しすぎる? “元ゲーマー”から悲鳴 ネットでは異論・反論も - ねとらぼ
元ネタになっているページは上記サイトのリンクから辿れるんで、ここには貼らない。
もちろん元ネタも閲覧したけど、パズドラに関しては「難しい」って言ってないのな。「チュートリアルが不親切」ってことが言ってるだけだと思うんだけど、モンハンと合わせて「難しい」という言葉にまとめられてしまった感じ。筆者が少し可哀想に思えたり…。なんだかまとめサイト(?)側の作為があるような気がするんだけど、深読みか?
筆者が「チュートリアルが不親切」と言っている部分として…。
・コンボの作り方が説明されない
・モンスター(チーム)のレベルをあげてどんどん強くなる敵に対応する、という基本概念が説明されない
などなどが書かれている。
で、筆者は、中途半端にゲームシステムを説明するゲームデザインに違和感を感じる、と。Webを漁ってコンボできることを知り、合成や進化の度にまたWebを漁り…。どうしてチュートリアルやヘルプで説明しないのか、と。
広くユーザーを確保したいはずなのに、この辺りの敷居が高いことへの矛盾を感じている…ってのが、主旨なんだと思うんだけど、読み違えてるかな?
うん、まぁ、確かに本編チュートリアルの中では、あんまり詳しい説明はなかった。基本説明だけでいきなりゲームの中に放り込まれた感じがなかった訳でもない。
でも、やっぱり初期のダンジョンの敵はそんなに強くはないし、ドロップひとつ揃えるだけでも倒せるようなレベル。それが徐々に敵の攻撃も強くなって、簡単に勝てなくなっていく。
そういう敵に勝つために当然モンスターのレベルを上げるように周回を繰り返すし、プレイヤー自身も工夫するはず…だよね。
そういう部分の説明さえも筆者は求めているのかなぁ?
私が中学生の頃、インベーダーゲームブームが巻き起こった。…ってことを書くと、だいたいの年齢がわかるけどね(笑)
テレビで取り上げられ、学校でも話題になり、名古屋打ちとかの攻略法が研究されたり…。当時はゲームセンターみたいなところがなくって、インベーダーゲームをやりたかったらバッティングセンターに行くぐらいしかなかったんじゃないかなぁ。でも、まぁ、中学なんてとこは何でも禁止したがるもんで、ご他聞に漏れず、ウチの中学でも「インベーダーゲーム目的でバッティングセンターに行くことは禁止」というプリントが配られたり、生活指導の先生方が徘徊したり、と、まぁ、そんな感じだった。
それでも好奇心旺盛な中学生は、そんなルールを無視してでもその欲求を叶えたいもので、私も友人達と電車二駅分ぐらい自転車で走ったところにあるバッティングセンターに行ったものだった。
初めてのゲーム機。学校のルールを破って人目を避けてやってきたバッティングセンター。もう後ろめたさ全開だったなぁ。
テーブルタイプのいかがわしさを全体に纏ったゲーム機に、ナケナシの小遣いの中からの100円玉を投入した瞬間の指先の震えは今でも鮮明に(でもないけど)覚えてる。
ゴチョンとかボコンとか、凡そ金属とは思えない鈍い音を立てて100円玉が吸い込まれ、目の前のテーブルに埋め込まれたモニタの画像が変わる。今のようにカラフルでグラフィカルな画像であるわけではない。粗いドット絵のキャラクターがモノクロで描かれており、その上に赤・青・黄・紫といったセロファンが帯状に貼り付けられているという安っぽいもの。いや、今となっては安っぽいけれども、当時、雑誌のグラビアで水着姿のアイドルを見るだけでも赤面していた中学生の眼には、それでさえもう淫靡なものに映った。
「なんだかすごく大人になった気分…」だった。
しかし…。その大人になった気分もほんの1分、いや30秒で終わってしまう。もっと厳密に言うと、ジョイスティックを操作した時間はライフ3の間の合計は10秒に満たなかったと思う。私は呆然とした。
友人達の失笑を浴び、説明を受けてようやく状況を理解した。私はそれまでブロック崩しとテニスゲームしかやったことがなく、その要領で敵のインベーダーが打ってくるミサイル(?)を跳ね返そうとしていた…という訳だ。そりゃ1分もたないわな。
…って、説明受けた後に再挑戦した1プレイも、ゲーム時間にそう大差はなかったけれども…。
いつもながら…話が大きく逸れた。
私はゲーマーではないし、滅茶苦茶ゲーム好きというわけではないけれども、基本的にゲームってそう大した説明なく、その世界に放り込まれてしまうものっていう認識がある。中学生のときのインベーダーが正にそうだったしね。
ファミコンなんかよりもずっと前に発売された家庭用テニスゲームやブロック崩しなんかも、或いは一世を風靡したテトリスにしたって、大した説明がなされてなかったように思う。
スーパーマリオブラザーズにしてもそう。地下道があることも、ゴールでジャンプしてポールにつかまれば点数が上がることも、ゲーム内では説明されてなかっただろうし、2-1だったかの最後の階段のとこでうまくカメをキープしながらジャンプを繰り返すとどんどん1UPする…とか、絶対ゲーム自体は教えてくれない。
昔はね、そういうのって近所に滅茶苦茶巧いおにいさんがいて自慢たらしく教えてくれたり、友達と情報交換したり、或いは攻略本を買ったり立ち読みしたりして、少しでも情報を収集しようとしてたと思うんだわ。だって巧くなりたいもの。
で、今はどこでそういう情報集めるかっていうと、そりゃもうネットでしょ? どこにいても誰であっても「近所の滅茶苦茶巧いおにいさん」になれて、どこにいても面識なくても「そのおにいさんの自慢たらしい攻略法」に触れることができる。高い攻略本を買わなくても、おにいさんと友達にならなくても、有益な(或いは無益な)情報にアクセスすることができるネットを活用するのは、もうこれ当然のことなんじゃないのかな?
私的には、ゲーム本体のチュートリアルやヒントってのはほんのとっかかりのところだけ教えてくれるだけのもの…という認識なんで、寧ろチュートリアル自体が煩わしいと感じることも多い。パズドラにおいても「今引きたくもないガチャ」を引かされるとか、そういうのってちょっと余計なお世話的に感じてしまう。
ゲーム本体のチュートリアルやヒントから得られる情報が少なくても、クリアしたかったり巧くなりたかったら、そういうちょっとでもプラスになる情報を集める…って姿勢は、昔も今もまったく変わらないと思う。情報収集の方法がネット主体になっただけだと。
だいたいにおいて、分厚いマニュアルとか説明書なんて、いまどき読まないでしょ? どちらかというと敬遠されるだけでしょ? 少なくとも私にとってはそう。
パソコンでも携帯でも、以前なら分厚いマニュアルが何冊も付いているのが普通だったけれども、iPhoneにしてもMacにしても、或いはASUSのWindows8パソコンにしても「え? もう説明終わり?」っていう程度の冊子しかパッケージされてない。
iPhoneでどうやればスナップショット撮れるという説明もないし、アプリのインストールやアンインストールの方法についての説明もない。
別にマニアックな端末機器ではない。「合う人にだけ使ってもらえればいい」というものでもない。広く大衆に向けたものであるはずだ。なのに「チュートリアル」的なものがないんである。
それでもみんなスナップショットは撮るし、新しいアプリをバンバンインストールできたりする。だって、使いたいから…。使いたいからこそ調べもするし、面白そうな使い方をしている人が近くにいればその方法を訊いたりもする。これに関しては老若も男女も関係ない。
能動的に、積極的に学ぼう、知ろうとしなければ、得られる知識は身につかない。これには古今も東西も関係ない。
もちろん、操作ミスしたら人命にかかわるような注意ってのは、きっちりメーカーなり販売側からの提示が最低限必要だとは思うが。
「パズドラのチュートリアルは十分か?」
少なくとも私には十分と思えた。もちろん、チュートリアルで学んだことよりネットで知ったことのほうが遥かに多いけれども、チュートリアルとしてはあれで十分だというのが私の答え。
もちろん、「あれじゃよくわからない」っていう人が多いだろうとも思う。
もっといろいろ教えてくれないと楽しめない、って感想があるのは当然だと思う。人によって想像力とか、探究心とか、そのものに対する熱意とか、千差万別だから。
だから、ここに書いたのはあくまでも私的な意見…いや、感想? 「一般的に言うと…」なんて大上段に構えて言うつもりはさらさらない。
iPhoneとかの電子デバイスを引き合いに出したりもしたけれども、まぁ主題になってるのってゲームなんだよね。ゲームって、「お、こんなことできるの知らなかった」とかってのも楽しみのひとつだったりするよね。「これ、みんな知ってる?」って小自慢するのもまた楽しみのひとつだったりするよね。そういう(本人にとっての)新たな発見があるのもまたゲームの楽しみなんじゃないのかと。
ま、チュートリアルが不十分だからつまらない…というのも、またそれぞれのプレイヤーの捉え方だからね。そういう人にとっては「手を抜いている」と感じても仕方ないのかもしれないけれども、私はその辺りも含めて計算されてるんじゃないのかなぁと思う。
間違ってるかもだけど、チュートリアルが親切すぎると、システムのサイズが大きくなるんじゃない? って心配が少なからず。いや、まじで余計なもの入れなくていいです。「W」も含めて…。
「情報は昔も今も手を伸ばせば届くところに転がっているはずだから」と、今日も私はネットの海にダイブするのであります。
ああ、相変わらずまとまりがないわ…。